テーマパーク一日体験

とあるテーマパークに存在する、様々なエリアを巡り、色々な動物と出会うアトラクション。 その魅力に魅せられた"私"は、その動物が"変身した人間"だといつことを知り、いつしか動物になるのを憧れる様になる。 そんな折、テーマパークの"一日体験"に当選した"私"は、動物になって一日過ごすチャンスを得ることに。 そんな私の"トラ"としての一日の記録。

宮尾武利宮尾武利2025/06/07
小説獣化トラ

 その動機は単純だった。
 自宅からほど近いテーマパークには、様々な地域の自然を再現した各エリアを、車に乗って巡っていくアトラクションが存在している。そのアトラクションでは、各エリアごとで様々な動物たちが生き生きとした姿を見せていて、その様子が脳裏に強く焼き付いており、子供心に強い憧れを抱いた記憶があった。
 小学校高学年になると、その動物たちが本当の動物ではないことを知り落ち込んだが、中学生になって久々に友人たちと訪れた時に、その動物たちは人間が変身して演じていることを知って、自分の心に再び憧れが灯った。
 そうして高校生になった今、その動物に変身するキャストについて、アトラクションの一環で「一日体験」があるのを知った私は、バイトで貯めたお金を下ろし、すぐさま抽選に応募した。
「自分も、そっち側になれるんだ」
 そういう仕事に就くには、もっと大人になってからじゃないとだめだと思っていた。高校を出て、大学を出て、就職をして、何年かたって任せられるようになって、初めてなれるものだと思っていた。そして、自分の思い描いた理想の通り大学進学や就職が簡単に行くわけでないことも理解はできていた。だからこそ、このタイミングで自分の憧れを実現できるタイミングがあるのなら、応募しない理由はなかった。憧れだったから。動機は単純だった。
 そして、どうやら私は運がよかった。
 応募から数か月後、私の手元に届いたのは当選の知らせとテーマパークの招待チケットだった。
 すっかり浮かれた私はテンションが上がり過ぎて、その日から少しの間勉強が手につかず、先生や両親からもちょっと注意されてしまったけど、私の憧れを理解してくれているからか、あるいは一日体験までの少しの間だからと諦めと納得の上だったのか、それ以上強く言われることはなかった。
 そしてようやく一日体験当日。一般の入場開始よりかなり早く指定された集合時間に対して、私は楽しみ過ぎてそこからさらに三十分ぐらい早くついてしまい、まだ少し肌寒さの残る春先の早朝、人のほとんどいないテーマパークの裏門前で待っていた。
 関係者と思われる人々ばかりが行きかう中、しばらくしてようやくおそらく他の当選者と思われる人々もちらほらと集まり始める。そして集合時刻には私も含めて老若男女それぞれな五人が裏門前に集まっていた。私と同じくらいの年代の女の子や、おそらく私のお母さんよりちょっと若いくらいの女性、そして私とその女性との間ぐらいの年齢のお兄さんと、年配の男性。本当に様々って感じだ。
 それぞれの人がどういう動機で応募してきたのかは分からないけど、少なくともここの動物になりたくてやってきた人たちだからか、朝早くなのにみんな楽しそうな表情をしている。
 そうして集合時間になると、裏門が開き、中から女性のキャストが現れる。
「皆様、本日は早い時間からお越しいただきありがとうございます! 他では味わえない特別な一日体験を是非、ご堪能ください! それでは招待チケットを拝見いたします」
 私たち五人はキャストさんにチケットを渡し、代わりにパンフレットやお土産、今日の資料などを受け取り園内へと入っていく。普段は園内どこでも鳴り響いているBGMが今はかかっておらず、人の気配もなく静まり返っている様は、私の知っているテーマパークの姿ではなくちょっと不思議な感じだ。
 園内に入って、スタッフ用のバックヤードを抜けた先ですぐ目に飛び込んできたのは、見慣れた園内バスだった。裏門からアトラクションまではそれなりに距離があるため、このバスに乗って移動するようだ。
 キャストさんと私たち五人はバスに乗り込む。狭いバスの中、自然と席を詰めて座り、私は自分と同年代位の女の子の隣に座った。この子も、動物になりたくて応募してきて、ここにいるということなんだと思うと、ちょっとドキドキした。
 バスが出発すると、キャストさんが今日のことについて色々説明してくれるので私たちは事前に手渡された資料に目を通しながら話を聞いていた。
 そして丁度説明が終わるタイミングで、バスがアトラクションのバックヤードに到着する。普段は入れない施設の裏側に、私たちは興味深々だった。そしてすぐ、その光景に私たちは目を奪われた。
 人間のキャストと、裏方のスタッフ、それに既に動物に変身したキャストが行きかう室内。人と動物が会話を繰り広げる不思議な光景は、まるで映画や漫画の様で、私の胸を高鳴らせた。
 すごい、これからなれるんだ。この光景の、動物側に。
 そんな光景をしり目に、私たちはバックヤードの奥へと進んでいく。
 そうして、通された会議室のような部屋で、今度はより詳細な注意事項についてキャストさんが説明していく。ざっくり言ってしまえば、危険なことはしないようにということだ。不慣れな動物の姿になっている以上、些細なことでも事故になりやすい。そうなれば、命の危険だって勿論あり得るということで、憧れの一日体験にやってきてちょっと浮かれ気味だった私たちに、然るべき緊張感を感じさせる説明でもあった。
「それでは、いよいよ皆さんには動物を選んでもらいます。色々な動物になれるので、好きな動物を選んでください。ただ、プログラムの関係上、同じ動物になれるのはひとりまでですので、被ってしまった場合には話し合って決めてくださいね」
 そうして、対象となる動物の写真と名前が書かれた一覧を受け取って眺めていく。
 ゾウ、キリン、サイ、カバ、ライオン、シマウマ、ハイエナといったサバンナの動物を中心に、トラやヒョウなどの他の大型ネコ科、シカやトナカイ、ウシなどの草食動物、さらにはカンガルーといった動物まで、本当に様々な動物が選べるようになっており、選択肢の多さに私は戸惑っていた。
 どうしよう。
 どれもなりたい。
 本当に、どれにもなりたい。どの動物にも憧れている。かっこいいとかかわいいとかそういう次元じゃない。なりたいんだもん、どの動物にも。
 でも、その中からどれにするかなかなか決断できない中で、どれか一つに決めなければならないのなら、最初からこれにしようとあらかじめある程度決めていた動物があるので、それにすることにした。被らないといいけど。
「あの、じゃあ私から良いですか」
 私はみんなが選んでいる中、遠慮することなく手を上げながら声を掛ける。他の四人が静かにうなずくと、私は自分のなりたい動物を告げる。
「私あの、トラになりたいんですけど、皆さん、どうですか?」
 他の四人は小さく「あぁ」「いいですよね」と口にして、お互い顔を見合った。どうやら、トラになりたい人はいなさそうで私はほっとした。私が口火を切ってから、他の四人もそれぞれなりたい動物を告げていく。さっきバスで隣になった同年代の女の子は、シマウマを選んだようだった。全然違う動物だけど、縞のある動物同士でちょっとだけ親近感がわく。
 各々なりたい動物を決めた後、私たちは会議室を後にして、男女別の更衣室に案内される。どうやらここで一旦着替えるらしい。ロッカーがずらりと並ぶ中、「ゲスト用」と書かれたロッカーの前に案内された私たち女性陣三人は、軽く言葉を交わしながら着ていた服を脱ぎ、ロッカーの中に用意されたローブに着替えていく。動物に変身した時のことを考えてか、伸縮性がある素材のローブは、少しだけサイズも大きく、すぐはだけそうになるのが少し気になったけど、まぁ、すぐ脱げてしまうものだしあまり気にしないことにした。
 着替えを終えて更衣室からさらに奥に進むと、今度は複数ある「変身室」と書かれた部屋へと、それぞれ別々に案内される。中は様々な動物に対応するためか非常に大きなつくりとなっており、キリンやゾウも入れそうなくらい広い。そして天井や側面に巨大な機械装置が設置されており、夢と希望溢れる園内の様子とはかけ離れた、大規模病院の様な光景に私は一瞬たじろいだ。
 私が戸惑っている中、室内に設置されたスピーカーからキャストさんの声が聞こえてくる。
「それじゃあ、中央の目印のところまで進んでください」
 言われて私は、床を確認する。確かに部屋の丁度ど真ん中に印が描かれている。そしてその周りには、何かの形が線で縁取られていた。ぱっと見は分からなかったが、おそらくは各動物の大きさの目安だろう。辺りを見ると、隣の部屋からガラス越しにこちらの部屋が見えるようになっている。おそらく、直接見ながらと、装置についているカメラで見ながらで、こちらを変身させるようだ。
「それじゃあ、これから変身させていきます。なる動物は、トラで間違いないですよね」
「はい、大丈夫です。お願いします」
 そう返事をした後、部屋の中央にいる私に向かって、壁や天井の機械から様々なアームが伸びてくる。その中におそらく、ビームを照射してきそうな形のアームがあり、私に向かって伸びてくる。
「まずはその場に足を広げて座ってください。ちょっと床が冷たいと思うけど、少しの間だから我慢してくださいね」
 言われて私はそのまま床にお尻を付け、足を前へ放り出して座る。その足の先端に向けて、さっきのビーム出てきそうなアームが伸びてくる。
「これからそのアームからビームが出ますからね」
 出るんだ、ビーム。
「しばらくビームを照射し続けると、体が徐々に変化していきます。最初は変な感じがしますけど、すぐになれると思いますので落ち着いて受けてくださいね」
 なんか、注射を受ける時の説明みたいだなと思いつつ、私は「分かりました」と答える。そうして、私は一つゆっくり深呼吸をする。
 いよいよ、なるんだ。
 私が、トラに。
「それじゃあ、始めますねー」
 キャストさんがそう言うと同時に、装置がけたたましい音を上げながら稼働していく。この仰々しい装置が他にも何台もあって、それを使って毎日裏で人間が動物に変身しているのだと思うと、大変だなという気持ちになった。
 などと考えていると、ついに装置の先端からビームが私の足に照射された!
 そのド派手な音と光景に反して、私の足は熱さも痛みも何も感じず、ただただ静かだった。一瞬、これで本当に変身できるのかなと心配に感じるくらいだった。だけど、すぐにその心配は不要なものだったと理解する。
「ぁ」
 私がか細い声を上げたのは、私の足にむずがゆさを感じたからだった。そしてそのむずがゆさの理由は、想像の通りだった。私の足が、変化し始めたのだ。
 足の甲から黄褐色の獣の毛がぶわりと噴き出し、徐々に私の足全体を覆っていく。いや、色はそれだけじゃない。黄褐色に混じって黒い縞模様の毛が生えていくし、足の平側は白い毛が生え揃っていく。つま先は徐々に黒く変色していき、獣の肉球へと変わっていく。足の指は小さく音を立てながら伸びていくが、やはりこれも痛みは感じない。そして、足の指の伸びに対して、指そのものの肉付きは太くなっていき、結果的には指が短くなっているように見える。おそらくは一分もかからない間に、私の足は人間のそれから、トラのものへと形を変えていった。
 勿論、変化は終わらない。私の足の変化が概ね終わると、装置の向き先は徐々に私の体の上の方へと上がっていく。ビームを受け続けた脚もまた、獣の骨格と肉付きへと変化していく。細い人間の体から、逞しいトラの肉体へ。ビームはまるで筆で塗り絵を塗るかのように、人間としての私の姿を、トラの姿へと塗り替えていく。
「徐々に上の方にも、ビームを当てていきますので、ビームが当たるように程よくローブをたくし上げてくださいね」
 キャストさんも難しいことを言うなあと思いつつ、言われるまま私はまだ使える人間の手を使って、腰周りを覆っていたローブを広げ、ビームが当たるようにする。
 ビームは私の腰周りへと到達し、私の下半身はすっかりトラのものへと変化してしまった。
「じゃあ、変化したばかりでちょっと難しいですが、今度は足を後ろに伸ばして、うつ伏せになってください。うつ伏せになったら、もうローブは脱いで、適当にその辺に放り投げちゃってください」
 そんな感じでいいんだ? と驚きつつ、私はまずは言われた通り姿勢を変える。人間のものではない、毛の生えた獣の後足を何とか動かし、私はうつ伏せの姿勢になる。そしてローブを脱ぎ、言われた通り放り投げた。
「では、腰周りを重点的に当てていきますねー」
 既にほとんどトラになっている私の下半身だが、重要なパーツがまだ足りていない。うつ伏せになっているので見えづらいが、ビームはしばらくの間私の腰周りに照射され続けていた。すると、おしりの周りが急にムズムズし始める。
「んっ……!」
 思わず声が漏れてしまう。
 何が起きているのか、よく見えなくても分かる。
 生えてきたんだ。尻尾が。
 人間には存在しない、獣だからこそ存在するその器官が、私の体に生えたんだ。まだ感覚を掴めないそれが、ゆらりゆらりと勝手に揺れているのを確かに感じる。さっきまで存在しなかった部位に、確かに感覚が存在しているのは不思議な感じだった。
 もう私の体の半分を作り変えてしまったビームだが、当然まだまだ終わりじゃない。徐々に私の体を上へ上へと登っていき、私の存在を、黄褐色と黒の縞模様で塗りつぶしていく。華奢な私の体が、大地を駆る逞しい獣の肉体へと、作り変えられていく。
 そしてビームはとうとう私の手に照射されていく。変化自体は、足と似たようなものだった。手の甲から黄褐色の毛が噴き出し、手全体は伸びるものの肥大し、相対的に短くなっていく。スマホを持ったり、パソコンのキーボードを打ったりできる、起用で細い指生えた手が、獲物を狩り、大地を蹴るための逞しい獣の前足へと形を変えていく。その瞬間、あぁ、私、本当に人間じゃなくなるんだな、もう本当に、獣なんだなというのを感じた。まだ、頭の変化は残っているけど、既にこの時点で人間らしい行動はほぼとれない姿だ。喋ったり、考えたりはできるけど、物は持てないし、走るのは四つ足でだ。
「では、次は頭を少し上げてくださいね」
 キャストさんのその言葉の意味するところは、勿論私にも分かる。いよいよ私の顔にも、ビームが当てられるんだ。
「顔に当ててる最中には、絶対に目を開けないようにしてくださいね」
 一発で失明するほどの強い光ではないが、やはり目にはよくないらしい。私はぎゅっと目をつむると、ビームが顔に当てられるのをそのまま待っていた。
 ビームの大きな音が私の頭の周りで鳴り響き始めると、程なくして私の顔の肉が何かに引っ張られるような、押し出されるような、妙な感覚を覚えた。多分今、私の顔が作り変えられていっているんだ。人間の顔が、トラの顔へと変わっていっているんだ。
「次は大きく口を開けてください」
 言われて口を開けて待っていると、徐々により口を大きく開けるようになっていくのを感じた。骨格が、人間のものから変わっていってるのだろう。
「じゃあ、口は閉じていいですよ」
 言われて口を閉じようとすると、舌に何かがぶすりと刺さった。それが何か一瞬戸惑ったけど、多分、これは、牙だ。私の歯が、トラの牙に変わったんだ。
 そんな風に戸惑っている間にも、ビームは私の頭を撫でまわすように照射していってるようだ。耳も引っ張られて頭の上へと移動していくのを感じるし、頭を振った時に首や肩に当たっていた私の長い髪も、いつの間にかその重みを感じなくなっていた。多分、今の私に髪の毛は生えていないんだ。顔も、頭も、獣の毛が生えているだけなんだ。ずっと目を閉じたままで今どうなっているのか分からないので、自分の姿への期待感と不安感がすごい高まっていった。
「はい、では目を開けて大丈夫ですよ。今度は全体にまんべんなくビームを当てますので、仰向けになってください」
 私はゆっくり目を開け、目が慣れるまで何度か瞬きをした後、すっかり変わってしまった自分の体を何とか動かし、言われた通り仰向けになる。直接的に当たっていたわけではなかったけど、既に私の腹も胸もすっかり白い毛で覆われており、ぱっと見はトラそのものだった。さっき生えた尻尾も、視界に入ってくる。……というか、今のこの姿って、いわゆる「ヘソ天」ってやつなんじゃないのかな……もしかして今の私の恰好って……かわいい? うわ、どうしよう、自分で自分の姿が見たい気もするし、恥ずかしくて見たくない気もする。
「では、ゆーーっくりと体をなんどかくねらせて、体の色々な部分に、ビームがもれなく当たるようにしてください」
 そうして、ビームに当てられながら、私はその体をゆっくり動かしていく。動かす度に、自分の今の体が、自分に馴染んでいくのを感じる。さっきまで不自然な感じがしたトラの体が、徐々に自分の体として扱いやすくなっていくのを感じた。
「……はい、変身はほぼ完了です。それでは一旦体を起こして、四本足でその場に立ってみてください」
 私はまた、仰向けの状態から一旦うつ伏せになると、まず腰を上げて後足に力を入れ、そしてそのまま重心を移動し、前足に力を入れ、下半身を引き寄せる様にその場に立ち上がる。
 ……うん、四本足で、自然に立てる。二本足じゃなく、四本足のこの姿勢が、今の自分にとってものすごくしっくりくる。
 まるでずっとこの姿で過ごしていたかのようにさえ思えるくらいに。
「では、姿を確認するために鏡を出しますので、見てみてください」
 直後、床から鏡がせりあがってくる。なんだろう、この無駄に凝った大掛かりな仕組みは。ビームと違って、これに関しては別にこんな機構にする必要はなかったのでは……と思わなくはない。
 せりあがってきた鏡の前に立ち、私は目線を少し下に落とす。まだ少し、自分の姿を確認しない時間を過ごしたいと思った。勿論視界には、前足と、鏡に映った前足が見えている。自分が、人間の姿をしていないことは分かる。それでも、変化を楽しむために、自分の顔はゆっくり確認したかった。
 そうして、ようやく意を決した私はゆっくりと顔を上げていく。開いた口の中に、鋭い牙が見える。ピンクに色づいた鼻先と、その横からたくさん生えた白いひげが見える。そして、毛で覆われた顔。ピンと頭の上で立っている耳。
 トラだ。
 鏡の中に、トラがいる。
 私が右を向けば、トラも同じ方を向き、逆を向けば逆を向く。口を開けば、大きな牙が見える。
 トラだ。
 私が、トラなんだ。
 このトラが、私なんだ。
 私は嬉しくなり、その場でぐるりと回ってみる。鏡の中のトラも勿論その場で嬉しそうに回った。
 私の姿は、人間の面影はほとんどなくなり、ほぼ完全にトラになっていた。
「どうですか、トラの姿は」
「すごいです、その、めっちゃいいです、すごくその、はい、その、すごくいいです」
 興奮してうまく言葉にならない私を、キャストさんは暖かく見ていた。トラの姿でもまだ喋れることなんて、本当は結構不思議なことなんだけど、トラになれた喜びでそれどころじゃなかった。しかし。
「でも、実はまだ完了ではないんですよ」
「え?」
 言われて私は回るのをやめる。今の私の見た目に、人間の部分って残ってるだろうか。
「さっき、目をつぶってもらってましたよね」
「あ」
 言われて私はもう一度鏡を見る。じっとトラと見つめ合う。
 ……確かに、これは人間の目だ。人間の、私の目だ。見覚えのある茶色の瞳がこちらを向いていた。この瞳だけが、私に残されたただ唯一の名残だった。
「最後に、目の部分に数分間、弱いビームを当てて、目もトラに変えます。それで本当に完了です」
 そうか、それでいよいよ私は本当に、人間じゃなくなるんだ。ごくりと唾を飲み込み、私はその場にうつ伏せになってじっとした。
「照射中は瞬きしても大丈夫ですからね。じっと照射口を見ててくださいね」
 さっきまでのけたたましい機動音とは異なり、静かな音が機械から聞こえてくる。そしてビームの口が私の方を向いてセットされ、ビームの照射が開始された。……はず、だけど。正直眩しくもないし、静かだし、目が変化していってる実感はなかった。
 ただただもどかしい数分を過ごした後、機械の音が止まり、アームが天井や壁へと収納されていくと、辺りは完全に静寂へと戻った。
「では、もう一度鏡を見てください」
 言われて、鏡の方をもう一度見る。ぱっと見、そこにいるトラはさっきまでのトラと変わりはないように見えたが、明らかにさっきより、目力が強いのを感じた。
 さっきまで茶色い人間の目をしていたトラが、今は瞳孔の小さい、黄色の明るい瞳をしていた。
 私は、何度か瞬きをして、確認をする。そこにはもう、見慣れた私の瞳はなかった。
 ほとんどどころではない、私の面影の一切ない、完全なトラがそこにいる。
 ああ、これで私は本当に、完全にトラの姿になったのだ。
「すごい……」
「さぁ、これで完了です。奥のシャッターを開けましたので、そちらに進んで他の動物の皆さんと合流してください」
 言われてみると入ってきた方とは逆の部屋の奥に、どんな動物でも通れそうなシャッターがあり、それがまさに今上がっていっているのを見つけた。私は言われてそのまま開かれたシャッターを通って、外へと出た。
 するとそこには、一匹のシマウマが佇んでいた。一見すると、本当にただのシマウマだ。白と黒の艶めかしい毛並みとたてがみ、大地を駆ける鋭い蹄、横に長い瞳孔を持つ瞳。姿だけ見れば、シマウマであることに疑いの余地はない。けど、その立ち姿はどこか不慣れなように見えた。まるでさっきまで人間だったかのような雰囲気を醸し出していた。……まぁ、実際さっきまで人間だったんだから、それはそうなんだけど。私も多分、自分では完全なトラとしてふるまっているつもりだし、知らない人が見れば実は人間だとは思われないだろうけど、知ってる人が見れば一発で人間だと見抜かれるんだろうな。
 私は、ゆっくりシマウマに近づいていくと、私の足音と気配を感じ取ったのか、シマウマはこちらに振り向いた。それを見て私は、恐る恐る声を掛ける。
「あの、さっきバスで、隣だった方、ですよね」
「あ、あの、はい。多分そう、ですね。あ、トラ、なんですね」
 中身がありそうで、ギリ無い会話をしながら、私たちはゆっくり近づく。はたから見れば、肉食動物と草食動物鉢合わせなのだから、お互いもっと本能むき出して、追っかけたり逃げたりするのが自然なんだろうけど、私たちは単にその姿をしただけの人間なので、別にそうしたことはなく、普通に会話するだけだった。
 しかもその会話も、別に仲が良いわけではないから、特に弾むことなく、ゆったりとした時間が過ぎていく。
「これ、応募したんですよね。シマウマ、お好きなんですか?」
「好きというか、まぁでも、はい。シマウマが好きというか、ここで動物としてのんびり過ごすなら、何がいいかなって。折角だし、あんまり自分っぽくない動物がいいなって」
「あ、分かります。だから私も、トラかな、的な」
「あー、いいですよね、ここのトラ。あの、かわいいです」
「あ、ありがとうございます。シマウマも、かわいいですよ」
「あ、ありがとうございます」
 多分同年代で、多分ウマは合いそうな気はするんだけど、不思議とそこまで会話は弾まない。なんか、今動物の姿で普通に会話をしているという事実自体が、ちょっとだけ不思議で、ちょっとだけ恥ずかしい気がするのかもしれない。
 そうこうしている間に他の参加者たちも動物になって集まってきた。他の三人も、すっかり三匹になっていた。もう一人の女性はカンガルーに、若い男性はワニの姿に、年配の男性はシロクマにそれぞれなっていた。みんな見た目はすっかり動物そのものなのに、動きはどこかぎこちなくて、その姿が「人間だなぁ」というのを感じさせて、どこかちょっと可笑しく感じた。
 するとそこへさらにもう一匹、動物が現れた。長い首を持つ、背の高いキリンだ。
 今回一日体験で招待されたのは私たち五人のはずなので、ということは、もしかしなくても、このキリンの正体は。
「みなさん、動物の姿はいかがですか?」
 さっきまでの間に聞き馴染んでいた声が、キリンから聞こえてきた。そう、もしかしなくても、私たちを案内してくれたキャストさんだ。
「ここからは私が皆さんを、それぞれのエリアにご案内しますね。そしてここから先、皆さんは設定上あくまで『動物』として扱われます。勿論、安全や諸々には配慮しますのでそこはご安心くださいね」
 これから自分たちが動物として扱われる。正直に言ってしまうと、その言葉に私は、確かに高揚感を覚えた。自分が自分でなくなるだけでなく、自分として扱われなくなる。その非日常の刺激は、他ではなかなか得ることができないものだろう。
 そしてこれから自分たちが、どういう風に「動物として扱われるのか」というのも、私たち五匹はおおむね予想がついていた。
 既に目の前に、動物輸送用の巨大なトラックが、エンジンかかって準備万端の状態で待機しているのだ。おそらくキャストさん含めた私たち六匹は、あのトラックに載せられて、各エリアに輸送されるのだ。
 そして、その横には、それぞれの体のサイズより二回りほど大きな檻も用意されている。そして、それをトラックに載せるためのクレーンと、作業をする複数人のスタッフ。
 ……「動物扱いされる」って、こんな大掛かりなことなんだなぁ……。
 などと感慨にふける暇もなく、私たちは素直にそれぞれの檻の中へと入っていく。
 別に檻の中に入れられたところで、乱暴に扱われるわけでもないことは分かっているので、最初は何も思わなかった。けど、いざ檻を閉められて、鍵をかけられた瞬間、急激にゾクゾクとした感覚が体中を襲った。
 ただでさえ姿がただのトラなのに、檻に入れられている姿を見たら、いくら佇まいが不自然で人間っぽくても、さすがに人間には見えないんだろうなという事実に気が付いた。
 変身というのは、姿が動物になったからそこで完了、というものではなく、人間から動物として見られ、動物として扱われ、動物からも動物として見られ、扱われる、その過程自体もまた変身なんだろうなということを今、身を持って体験しているのだ。
 ……最高の体験だ。
 他の参加者たちがどういう思いで参加しているかは分からないし、きっとそれぞれの物語があるのだろうと思うけど、私は今、ただただこの動物扱いが憧れの状態だったので、今ただただ楽しいだけだった。
 私たち六匹の動物は、檻に入れられたままトラックに載せられ、そしてトラックは園内をゆっくりと回り始める。
「本日はお越しいただきありがとうございます、このアトラクションでは……」
 トラックの先頭では、キリンの姿のキャストさんが、普段人間のお客さんたちを案内するのと同じ語り口で解説を始めるので、私たち五匹は笑いながらその様子を見ていた。
 走行ルートも、キャストさんの説明も、普段のこのアトラクションと全く同じ。だけど、今日は違う分が沢山ある。私たちが載っているのがトラックであること。私たちが動物の姿になっていること。そして最大の違いは、それぞれの担当エリアに着いたら、そこでトラックから降ろされて、エリアに放たれるということだ。
 まず最初にシマウマの女の子が、最初のサバンナエリアで降ろされた。彼女の元には仲間のシマウマが駆け寄り迎え入れられていた。勿論、他のシマウマも、ここのキャストさんだ。そうしてシマウマの群れに加わった彼女から一瞬目を離すと、もうどれがあの子だったのか、分からなくなってしまった。
 次にワニのお兄さんがアマゾンエリア降ろされて、そしてその次に降ろされるのが、森林エリアの私だった。
 スタッフさんの手によって、丁寧にトラックから檻に入れられたまま降ろされ、檻を開けられる。当然私のもとにも、トラの姿の別のキャストさんが寄ってきた。とはいえ、シマウマの時とは違い、やってきたのは一匹だけだったけど。
「じゃあ、一日楽しんできてくださいね」
 キリン姿のキャストさんに言われ、トラックに残ったシロクマとカンガルーの二匹からも見送られ、私はもう一匹のトラと共に森林の奥へと歩んでいった。
「改めまして、今日一日サポートさせていただきます。よろしくお願いします」
「あ、あの、よろしくお願いします」
 トラから聞こえてきたのは、さっきのキリンの人とはまた別の、落ち着いた女性の声だった。
「色々動物がいる中で、トラを選んでくれて、担当としては嬉しいですね。どうですか、実際なってみて」
「そう、ですね。楽しいです。ただ、こうして歩いているだけでも」
 そう、今こうして一歩一歩森の中を歩んでいるだけで、人間の姿では感じることのできない感覚を、確実に味わっている。
 ひげを撫でていく森の風。肉球に挟まったり毛に付いたりする砂や土。決して森のいい香りばかりだけではない、土や、水の匂い。それらを今しっかりとこのトラの体で存分に味わえるだなんて、あまりにも贅沢だなと感じていた。
「でも、トラの担当って一匹だけなんですか? さっきシマウマの子の時には群れで出迎えてたんですけど。このアトラクション、トラも他にもいたような」
「ほら。トラって基本的には群れない動物だから、設定的にはあまり一緒に行動したりはしないですね。なので残念だけど、出迎えも私だけで担当で。でも他の担当のキャストも、ちゃんと見守ってくれているから大丈夫ですよ」
 確かに。トラが何匹も群れで仲良くしている方が、ちょっと違和感あるもんな。
「さて、このアトラクションでトラのスポットは、さっき言った通りトラは群れないから複数あるんですが、今日まず担当してもらうのは、この先の小高い丘の上です。そこから数時間ごとにスポットを少しずつ入れ替えていきます。いきなりちょっと大変なところだけど、見晴らしもいいし、お客さんからもよく見える場所だから、是非楽しんでくださいね」
 そうして見上げると、確かに眼下に流れる川によって森の木々が丁度開かれた間から、小高い丘がよく見える。確かに前に来た時も、このスポットからトラを見て、そのかっこよさに憧れた記憶があった。
 私が、そこにいていいんだ。
 私はキャストのトラにアドバイスを受けながら、なりたてのトラにはやや険しい丘をゆっくりと登っていく。前足、後足をうまく使って、時には飛び越えたりして、そうして何とか頂上まで上り詰めると、そこから自分が来た道を振り返る。人間では登るのが大変そうなこの丘を、私が、自分の力で登ってきたんだ……!
「どうでしたか? トラとして、トラの力で、こうして丘を登ってみた感想は」
「楽しいです。本当に……本当に、気持ちいいです、今」
 最初は変身したてで綺麗だった私の毛並みも、少しばかり砂ぼこりに汚れている。四本の足は言わずもがなだ。どんどん人間らしさから、遠ざかっていく。
「じゃあ、まずはここで待機しててくださいね。開園までまだあるから、しばらく退屈かもしれないけど……あなたなら大丈夫そうだし」
「はい、大丈夫です。大丈夫です、けど」
「けど?」
 私は一つだけ引っかかってたことがあり、キャストのトラに問いかける。
「あの、声って、その、このままですか?」
 そう。見た目は完全にトラ。仕草も行動も完全にトラ。なのにまだ唯一、声だけが私の声のままだ。
 まさかこのまま、なんてことはないはずだけど。
「大丈夫ですよ。そのあたりは、この後担当の人がきますから」
「担当の、人」
 人が、来るんだ。この小高い丘に。トラでも登るのがちょっと大変な丘に。
「はい、あのー折角だから水を差すのはよくないんですけど、普通に人間用の別ルートで登れるようになってますから。この丘」
「あー……まぁ、そう、ですよね。清掃とか、ありますもんね」
 確かにちょっと聞きたくなかった情報だけど……冷静に考えればそれはそうか。
「で、声は何かあった時に困るから、基本的にギリギリまで変えずにいるんです。この後各エリアの担当者が順に回ってくるので、そのままもう少し待っててくださいね」
「はい、そういうことなら。わかりました」
 そうしてトラのキャストさんは、自分の持ち場へと向かうため、軽快な足取りで丘を下りていった。すごいな、私もあれくらいトラの体を自由に操れるようになりたいな……。
 それから少しの間丘の上で風や音を感じていると、丘の下から人の足音が聞こえてきた。多分、担当のスタッフさんだろう。その足取りは重そうに聞こえた。
「えっと、今日の招待のゲストさんですよね?」
「え、あ、はい。そう、です」
 私が戸惑っていたのは、問いかけられたからではない。登ってきたスタッフさんが、明らかに重そうな大きな機械を背負って登ってきたからだった。
「あの、それ、その……背負っているものって……」
「はい、簡易版の変身装置ですね。動物に変身した皆さんの、喉を変えたり、足りないところや突発的に戻りかけてる時とかに、ビームをかけ直したりするのに使うやつですね。力は弱いので、全身に使うのには時間がかかるんですけど、喉ぐらいならこれで変えて回った方がいいので使ってます」
 まさか簡易版とはいえ、変身装置そのものを持って登ってくるとは思わなかった。トラの姿で丘を登るよりもよっぽどハードなのでは……?
「じゃあ、喉を出してください。ビーム当ててきますね」
「え、あ、はい」
 言われるがまま私は顎を上げて喉をスタッフさんに突き出す。スタッフさんは装置を動かし、私の喉目掛けてビームを照射する。しばらく待っていると、徐々に喉が締まる感じがし始めた。
「あ……あァ……グ……ガァ……」
 ちょっとずつ喉が締められていく度に、私の喉から声が思わず漏れてしまうけど、私の知っている私の声が、少しずつくぐもっていき、綺麗な発音ができなくなっていく。いよいよ私は、自分の声さえも、失おうとしている。そしてついに。
「グウォゥ……ガウォォウ……!」
 スタッフさんが装置を外したのを見て、声を上げようとしたけど、私の喉から出てきたのは獣の獰猛な咆哮だけだった。
 外見だけじゃなく、声まで完全に、トラになってしまったんだ……!
「はい、これでオッケーですね。これで完全なトラです。それでは、トラの世界を楽しんでくださいね」
「ガオウゥ、グウォッ!」
 ありがとうございます、と言ったつもりだったけど、お世辞にも自分の耳にも全くそうは聞こえない獣の咆哮しかできなかった。
 スタッフさんはまた重い装置を抱えて、丘を降りていく。こうして姿も、振る舞いも、そして声もトラになった私は、一匹小高い丘に放置されることになった。
 といっても、辺りを見たら、丁度お客さんのルートからは死角になるところに監視カメラが設置されていることにすぐ気づく。あれで私の様子を見ていて、私の身に万が一何かあっても、すぐ対応可能だろう。多分、動物たちのスポットそれぞれに、そういうカメラが設置されているんだろう。裏側からじゃないと確認できない色々なものが見れるのも、動物になれること抜きで、これはこれで普通に楽しい。
 あと、普通の動物なのか、それともキャストなのか、鳥が飛んできたりする(後で聞くと、本物の場合もあるしキャストの場合もあるらしいけど、この時私が見たのは本物の鳥だった模様)。
 そうしてそこからまたしばらくの間色々なものを観察しながら待っていると、園内のいたるところでBGMが鳴り始める。いよいよ開園のようだ。
 それからしばらく待っていると、いよいよ車の音が聞こえてきた。お客さんを乗せた、アトラクションの車だ。せっかく体験させてもらってるんだから、精いっぱい盛り上げないと。
「ガァウゥ……グルル、グウォォウゥ!」
 車が私の目の前を通り過ぎる瞬間、私は今の自分にできる精いっぱいの大きな声で吠えた。瞬間、子供たちの歓声も悲鳴も聞こえてくる。楽しんでもらえたかな、怖がらせちゃったらごめんね。そんな気持ちを抱きながら、私は丘の上から車を見送った。
 ただ、これは勿論一度だけじゃない。アトラクションなので、それなりのペースで車はやってくる。その都度私は、吠えたり、鳴いたり、時にはただじっと見つめたり。色々なアクションを試してみるけど、やっぱりシンプルに強く吠えるのが一番楽しんでもらえてそうな印象だった。
 あまりに楽しくて、何度も何度も車を迎えていて、大体の時間は計算できたはずなのに、全然時間を気にすることなくいたら、いつの間にか、本当にいつの間にか三時間近くたっていたらしい。人間のスタッフさんが登ってきて、私に休憩交代を告げてきた。まだ全然疲れていないのにな、もっとやりたかったなと思いつつ、身体的な負担は当然スタッフさんの方が解っているはずなので、私は黙ってそれに従うことにした。
 恐る恐る丘を降りて、森林エリア用のバックヤードにたどり着いた私は、簡易装置で一旦喉を戻してもらい、喋れるようにしてもらう。
「グガァ……ガ……グぅ……あぁ……」
「どうですか、喉は」
「あぁ……うん、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
 数時間ぶりに聞いたいつもの自分の声。でも、数時間の間ずっと自分の声として獰猛な咆哮を聞いていたから、何なら本来の自分の声の方が違和感を感じていた。この姿に合っているのだって、咆哮の方だし。
「今のうちに食事をしてもらいます。それが終わったら次は、川の近くのスポットに行ってもらおうと思います」
「分かりました、ちなみに食事って」
「トラの餌です……と言いたいところなんですけど、さすがにこればっかりはそういうわけにもいかなくて」
 そう言われて案内された先では、美味しそうな香りが漂ってきた。
「変身装置で対象者の内臓も変えることはもちろんできるんですけどね、時間がかかりますし、そもそも生のお肉を提供すること自体、色々と……でも、体自体は大きくなって、普通に疲れて人間の姿の時の何倍も食べれるようになっているわけですから……というわけで、色々な焼いたお肉食べ放題です」
 やったー!
 普通にやったー!
 これに関しては全く考えてなかったし、全く予想してなかったけど、普通にトラを選んでラッキーだったやつだ! ラッキーだった! よかった、トラを選んで!
「トラの担当者っていつもこんないいものを食べてるんですか!?」
「いつもってわけではないですね。変身者用の栄養ブロックみたいなのもあって、それを食べることもあるんですけど、さすがにゲストには出すわけにはいかないですからね。……あ、でも希望者にはプレゼントしてますよ」
「じゃああの、それはそれでもらってもいいですか」
「はい、お持ちしますね」
 スタッフさんが栄養ブロックを持ってきてくれている間、私は色々な肉にかじりついた。ウマ肉、ウシ肉、ブタ肉、ニワトリ肉。本来のトラの餌ではないようなものも食べれるのも、特権かもしれない。
 もらった栄養ブロックも、「まぁ、これはこれで」という感じの味で「まぁ、これはこれで」と正直な感想を言うと「まぁ、これはこれで、ですよね」と返された。みんな思うところは同じという感じのようだった。
 食事を終えて一段落した後、今度は先に装置で喉をトラに変えてもらった上で次のスポットに案内してもらい、そこでさらに数時間、私はトラとしてふるまい、お客さんを楽しませ続けた。
 そうして夜、再び丘の上に登ると、園内のイベントで花火が打ちあがる。見通しのいい特等席花火を見終えた後、ついに一日体験はクライマックスを迎える。光が乏しい夜、私を森まで連れてきてくれたあのトラックが、再び森林の近くへやってきた。私はまた檻に入れられ、トラックに載せられると、そのまま全体のバックヤードへと連れていかれた。
 こうして一日の体験を終えた私たち五匹は、トラックから降ろされ、檻から出されて、今度は朝来た道を逆にたどるように変身室室へと入っていく。そこで再びビームを受けて、一日すっかり染まりきった私の体から、トラをはぎとっていく。牙も、尻尾もない、普通の人間の姿へと、元の私へと戻されていく。
 四本足で歩いていた特別な日から、二本足の日常へ。私は手渡されたローブを着てロッカーへ向かい、そこで自分の服へと着替える。
 そうして、他のゲストの四人とも合流した後、キャストさんに最後の説明を色々と受けて、その日はついに解散となった。すっかり遅い時間、終電ギリギリのホームで電車を待っている時、同じ電車を待っている一人の少女の姿を見つけた。今日一緒に体験をした、あのシマウマの少女だった。
 私は、勇気を振り絞って声を掛ける。
「あの」
「あ、あの、トラの……」
「今日、楽しかったです、よね」
「はい、そうですね。すごく……楽しかった」
 今日の出来事を思い出したのか、彼女はかわいらしく微笑んだ。
「あの……就職って、ここ、目指すんですか?」
「え?」
「私、将来はここで働きたいなって、思ってるんです。だから一日体験にも応募したし、だから」
「私も……私もそうです。目指してて。良かった。じゃあ本当に、私たちって一緒だったんですね、そういうの」
「だからあの、もしよければですけど」
 私は、ポケットからスマホを取り出す。これは、人間だからできること。トラの私と、シマウマのあなたなら、できないこと。
「連絡先、交換しませんか? 友達に……なりませんか?」
 彼女は少し驚いた様子で、だけど答えはすぐに返してくれた。
「ええ、勿論!」
 こうして私たちは一日体験がきっかけで友達になった。友達であり、同じ就職先を目指す仲間として、そこから切磋琢磨する仲にもなった。
 同年代だと思っていた私たちは、ずばり同じ学年であることも分かり、それから私たちは、高校を卒業して、大学を卒業して、高い倍率の中、念願のあのテーマパークに就職を果たした。
 そして数年後ついに、今度は体験ゲストとしてではなく、正式にキャストとして、希望通り動物になる部署に配属された。
 けど。
「まぁ、初年度から希望の動物はやらせてもらえないですよね……」
 配属後、初めての変身を終えた私は、鏡の前で苦笑いをした、つもりだった。
 でも、鏡の向こうに映っている大きなサイの表情は、いまいちわかりづらいものだった。
 そう、私が最初に担当することになったのは、あの時のかっこいいトラとは程遠い、サイのキャストだった。
 まぁでも、それでも私は嬉しかった。もちろんトラが好きだけど、それはそれとして、単純に動物の姿になるのが楽しくて仕方ないのだ。角の生えた鼻先。太い足と胴体。まぁ、もしかしたら普通の若い女の子だと嫌がるのかもしれないけど、私はそういうことは気にならないし、サイとしての振る舞いを今から楽しみにしていた。サイはサイで、かわいいし。
 そうして私が変身室から出ると、そこで一匹の動物が待ち構えていた。その姿を見て、私は見たままを口にした。
「そっちは、カバなんだね」
「そっちはサイかぁ。まぁ、最初はそうだよね」
 勿論このカバは、あの日友達になった、シマウマのあの子だ。あの時のすらりとした姿から一転したカバの姿に、本人は……もとい、本カバはちょっと照れ臭そうだった。
「カバは、いや?」
「うーん、いやではないかな、別に。単に、慣れない姿で出るのはちょっと恥ずかしいけど。シマウマの時もちょっとそうだったし。カバも、私可愛くて好きだし」
「私も好きだよ。カバも。サイもね」
「私もサイ好きだよ」
 私たち二匹が巨体をよせながらゆっくり歩きながら話をしていると。
「ほら、そこの新入り二匹! 早く檻に入ってトラックに載って!」
「はいすみません! 今載ります!」
 私たちは顔を見合わせると、二匹揃ってトラックへと、そして、これから始まる新たな日々へと走り出した。

この小説を書いた人

宮尾武利

宮尾武利

ATRIダイレクター。獣化作家。 「獣化がまだ好きではない人に獣化を好きになってもらうため、獣化を好きな人にもっと獣化を好きになってもらうため」をモットーに、獣化について様々なアプローチを試みている。

WEBサイト𝕏(Twitter)BlueskyPixiv

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宮尾武利宮尾武利2023/06/03
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